令和6年度 上杉文華館「謙信の越中出馬と川中島合戦」
令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。
越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。
謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。
北陸地域における同盟主の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。
第5回「謙信の越中出馬と川中島合戦」
【展示期間】7月25日(木)〜8月27日(火)
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天文14年(1545)7月に能登国守護の畠山義総が没して以降、能登畠山氏の大名権力は、一族や重臣による反乱の影響を受けて失墜していきま す。これにより、能登国は主導権をめぐって重臣(畠山七人衆)間の対立が激化し、内乱の時期を迎えていました。
このような能登情勢を受けて、弘治3年(1557)、畠山悳祐・義綱は、上杉謙信に助力を求め、事態の打開を図ります。しかし、この当時の謙信 は、武田信玄との対立(第3次川中島合戦)で信濃への出陣を控えていたため、軍勢の派遣を行わずに物資の援助で対応しました。こうして謙信による北陸情勢への関与が始まるなか、信玄は越中の一向一揆及び越中西部を拠点とする神保長職らと謀り、謙信の背後を衝くよう働きかけることで対抗します。謙信・信玄の対立と北陸情勢は、在地の諸勢力と複雑に絡み合いながら一進一退の攻防を展開していきます。
今回の展示では、謙信が北陸情勢に関与し始める時期の資料に注目し、川中島合戦と並行して進められた北陸情勢への対応について紹介します。
▼ コレクショントーク
日時:7月28日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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